ムスコが1歳になる直前に、その出来事は起こりました。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件です。
テレビには、ひっきりなしに崩壊するツインタワーの映像が流れました。
それを何も分からない、0歳児のムスコがみている。
その姿を見ていると、心がざわつきました。
- 「9.11」の報道の画面を見つめる、0歳児を見ていて感じた違和感。
- 「テレビを見ない権利」からスタートした、子どもにテレビを見せない生活。
- 大人が負担を感じない程度に、映像に頼らない生活を送るための工夫。
- 情報や周囲の声との付き合い方を考えた原点。
わたしのテレビを見ない生活の体験談です。
2001年9月11日の衝撃と、テレビの映像をみるムスコへの違和感。
その映像は、繰り返しテレビで流されていました。
新しい情報が欲しいかあちゃんは、ずっとテレビをつけていたのです。
そしてテレビの前には、何も理解できないまま映像に顔を向けているムスコがいました。
こんな衝撃的な映像を、0歳児に見せていていいのだろうか?
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子どもは映像が大好き。だから、見せる時間は決めていたけど。
乳幼児の子どもは、テレビ番組をつけると、食い入るように見ます。
それが子ども向けの番組なら、効果は絶大です。
今なら、YouTubeかな。
ムスコの場合、お座りができるようになった頃から、夕食の支度の間はテレビをつけるようになりました。
子ども向けの番組や、英語の教材のDVD。
時間を決めて、大人の負担を減らすための方法としてテレビを活用していたのです。
大人が見ている映像は、子どもの目にも写っている。
ニュースを見ている時には、同じ部屋に子どももいました。
子どもは大人と同じ映像を見ています。
「9.11」までは、特に何も感じていませんでした。
けれども、あの日から始まる報道合戦で、テレビからは衝撃的な映像が流れない日は無くなりました。
1週間がすぎ、2週間がすぎると、さすがにかあちゃんは違和感を感じるようになります。
こんなに毎日、ビルが崩れる映像や、銃を構える映像を見せていていいのかな。
「テレビを見ない権利」もある。
違和感を感じていたけれど、どうしたらいいのか分からない。
分からないけど、同じ映像を流し続けるテレビに腹が立つ。
だんだん、テレビ局のモラルに対して疑問を感じるようになっていました。
情報が、一番早く手に入るのは、当時はテレビの速報でした。
早く情報を得たい気持ちと、自分の意思とは関係なしに送られてくる情報の間で、板挟みになっていました。
気持ちはわかるけど、テレビは映像を流し続けなければならないメディアだ。
だけど、衝撃的な映像を繰り返し流し続けるのはどうなのか。
もう報道の時期は終わっていると思う。
そんなに違和感を感じるのなら、「テレビを見ない権利」もあるんだよ。
「テレビを見ない権利」という言葉には、驚きました。
今ほど権利意識が叫ばれていない時代です。
でもどんな言葉よりも、当時のかあちゃんにとっては、納得できた答えでした。
大人が情報を得る手段は、テレビ以外にもある。
協力してくれるのなら、やってみる。
見たいテレビは、録画をとってムスコが寝ている間にみることにする。
こうして、「テレビをつけない生活=見せる映像を意識する生活」が始まりました。
テレビを消すと、子どもと向き合う時間が豊かになった。
今まで映像がついていた時間が無くなったのです。
当然、子どもと一緒に過ごす時間が増えます。
映像に頼っていた時間をどうするか、とことん子どもに向きあう。
映像を見せない生活で一番大変なのは、食事の支度の時間です。
1歳児に一人で遊んでおけと伝えても、できるわけがない。
しかもまいご家のおもちゃは、音や色の刺激が少ないおもちゃへとシフトしてる途中でした。
木のおもちゃの難点は、大人が関わりながら遊びを広げてやらなければ、長時間の遊びができないこと。
食事の支度を始める前には、読み聞かせや積み木遊びにたっぷりと時間をとる。
満足して一人で遊びを始めると、そっと離れる。
その間に、台所へ。
あそんで。あそんで。
15分くらいしたら、飽きてかあちゃんのところにムスコが来る。
それからは、DVDの時間。
全てを0にするのではなく、自分に負担がかからないように過ごしました。
親もだんだん慣れて、絵本のストーリーから積み木遊びへ繋げられるようになった。全て
1ヶ月、3ヶ月と時間がすぎていくと、子どもも成長します。
かあちゃんも要領をつかんできました。
読み聞かせの絵本のストーリーを使って、積み木遊びに誘導できるようになったのです。
例えば、「ぞうくんのさんぽ」の場合。
散歩に出かけたぞうくんが、途中で出会ったかばくんや、わにくんを背中に乗せて、散歩をする。最後には、みんなで池に「どぼーーん」と落ちる。
子どもの大好きな、定番の絵本。
読み聞かせをした後に、
ぞうくんのおいけを作ろう。
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WAKUーBLOKを取り出して、積み木を手に取りムスコを誘う。
最初の数個は、かあちゃんが積み木を置く。
ムスコの気分が乗ってくると、自分も積み木を置きはじめる。
音に喜んで、一人で遊び出す。
ここまで来ると、かあちゃんが離れても大丈夫。
室内での砂場遊びだね。片付けが大変なんだけど。
数ヶ月経つと、かなり長い時間一人で遊べるようになっていました。
情報リテラシーを意識したのは、この体験からだった。
子どもに与える情報を選ぶことは、大人になったかあちゃんが初めて行った情報リテラシーでした。
当時初めて、「情報リテラシー」という言葉を聞きました。
概念自体、新しいものだったのです。
まいご家は、職業柄とうちゃんが「情報」の危険性をよく知っていました。
「情報リテラシー」と言う言葉や概念も、とうちゃんから聞いた話しだったのです。
それでも周囲の声には、戸惑った。
テレビを見せない話しをすると周囲の人には、「やりすぎ」とか「かわいそう」と言われます。
周囲の声に戸惑い、自分のやり方に迷うかあちゃん。
遊んでいるムスコを見て「かわいそう」に見えるか?
そうとうちゃんに言われて安心しました。
結局「やりすぎ」や「かわそう」は、子どもの様子から判断するしかない。
普段の様子を観察できない人には、本当のことは分からないのです。
今は映像がテレビ以外にもあふれているから、お母さんの悩みはもっと深いと思う。
3歳での長期入院で、テレビを見せない生活は終わりを迎える。
3歳直前に、小児白血病にかかり長期の入院生活を送ることになりました。
テレビの試聴しか、闘病中にできる楽しみはありません。
テレビを見せない生活は、3歳で終わりを迎えたのです。
9.11から入院までの2年間は、情報との付き合い方の基盤を作った時期のように思います。
「情報」との付き合い方は、今後も成長と共に変化しました。
親子で試行錯誤した2年間が、全てのベースになったのだなと今は思うのです。